私はあなたの帰る場所

直感で生きたら出逢った私たち夫婦のスピリチュアルでリアルな日常

存在給。。。できる自分ではなく足りない自分がだれかを救う

完全だから、愛されるわけでもない
才能があるからしあわせになるわけじゃない


わたしはずっと、自分が人として足りないと思っていた
人並みになりたい
人より劣っている
欠けている


ずっとそう思っていた
そしてそれを埋めるために努力を重ねてきた
がんばってきた


欠けているものが埋まるように
足りないものが満ちるように


それが果たされればしあわせになれると信じていた



劣等感と罪悪感と負けず嫌いと意地っぱり


これがぜんぶなくなれば
愛されるんだと信じてた


でもね、どんなにがんばってもなくならなかった


だから、愛されないんだ
きっとまたいらないって言われるんだ


私の耳にはだんなさんの声が届いていなかった
私を大切に思ってくれている、だんなさんの声が。


どうせ、わたしのことすきじゃないんでしょ?
どうせ必要ないんでしょ?
なにか起これば私が悪いって思っているんでしょ?


何も見えていなかった
なにかが、私の心の傷に触れたら
反応のスイッチにふれたら

私の心は暴れだして
取り乱して
なにもきこえなくなっていく


そうやって、ずっと

「被害者」をやってきたんだ


そうやって、罪びとでいようとしたんだ

償うために私には価値がないことにしてたんだ
償うために不幸を選んできたんだ



どうしてそう思うことにしたんだろうか
どうしてそうなっちゃったんだろうか



それは、きっと


「わたしが、足りないからいけなんだ」

どこかでそう決めてしまったから



足りないことがいけないんだろうか



結婚する前、受付の仕事をしているころ


なぜだか、たくさんの人にかわいがってもらっていた

その当時、どうしてなのか、わからなかった
受付としてのスキルが高いわけでもなく
特別美しいわけでもない
何のとりえもないのに何でこんなにかわいがってもらってるんだろうと思っていた
(自分に自信がなさすぎる。。。と今では思うけどね)


あるときいわれたことがある


「足りないから愛されるんだよ」

一生懸命なのを見て
ああ、しょうがないなぁ
かわいいなぁ

って、手助けしたくなるんだよって


あのとき、ぜんぜん意味がわかんなかったなぁ

ただただ、足りないっていわれたことが悲しくって
そこで止まっちゃったなぁ


今ならわかるんだ
足りないことで救われる人がいる


なにかができるから助けられるんじゃないんだ
できることで助けることができるもののほうが圧倒的に少ない

できないことで、受け取ることで救われる、助けているってことのほうが
実はすごく多いんじゃないだろうか


それを存在給というんじゃないだろうか


それが、ありのままというんじゃないだろうか



できるじぶん
すごいじぶんよりも
はるかに大切なあなたの一部なんじゃないだろうか